4/24
Kill Bill vol.2

という訳でKillBill vol.2、見てきた。
今回は前回と違って大絶賛ではなく、ここ最近思ってたこういう映画に対する考えなんかも絡めながら、ネタバレ全開で書く。これから見に行くって人は注意。
まず前作のおさらいから。
前作は面白いというより、「羨ましい」作品だった訳だ。
まぁ、マトリックスがそもそもその手の羨ましい系ではもう最大手だったわけなんだけど。書いたかもしれないけどこの辺。
日本で言えば、エヴァンゲリオンがオマージュと称したパクリを散りばめて、それで居て元ネタが判る人にも判らない人にもある程度満足できる程度のクオリティを保ち、そしてそれを作品に上手く昇華(終盤はそれが結局破綻した証だが)して人気が出た作品だった訳だ。
これはクリエイターとしてはもう羨ましい事この上ないんじゃないかと思う。何しろ、自分の好きな作品を羅列し、繋ぎ合わせ、そしてそれが評価されるなんてのは、自分の作品の一番のファンが自分という、本来クライアント側の要求を止む無しと飲むのが一般的な創作業に於いて、最も贅沢かつ、タブーな行為が認められちゃう訳なんだから。
んで、マトリックスという作品もその手のオマージュがモリモリ入ってた訳で。
これはアニマトリックス見ると分かり易いんだが、アメリカで話題になったちょっとカッコイイ日本の「コアな」アニメを愛好したただのオタクが、あれだけの収益を集める作品作り出すってんだから尋常な話じゃない。
攻殻機動隊にAKIRAなんて、日本じゃオマージュやった途端につま弾きに合っちゃう様な作品をオマージュした作品が、(何しろそういう作品が日本の市場にわんさと濫れすぎている)アメリカのハリウッドという皮を被ってしまえばちょっとオサレな娯楽作に化けてしまうというこの不思議な構図は、オタクにしてみると物凄く不思議であり、どこまで理解して一般の方々が見ているのかは凄く疑問視していた訳だ。
まーどうせ、コマーシャルだとか話題性とかに踊らされてるだけなんだろうなぁと思いながら。この点に於いて、一般層に働きかける上で、どれだけプロモーションが重要かは実に思い知らされた感がある。
んで、それに啓発されたか、根っからのオタクであるタランティーノがKill Billを持ち出してきたわけだ。
はっきり言ってしまえば、先にも記したとおり、やりたい放題をやっているんだね、という事を確認する過程が存在しない限り、まともな作品評価が生じることは無い。キワモノ的な表現の数々が目に付いたりと、実に正道から作品評価すれば、確かにキワモノなのである。しかしながら、Kill Billにオサレな感覚を抱いた時点でそれは、視聴者の負けだった訳で。まんまと踊らされたって事だ。残念ながらこれがプロモーションの力であり、視聴者が全て悪いという訳では無い。しかし、たかが娯楽、されど娯楽である。踊らされるのもまた風流という心意気で見る姿勢もまたあって然るべきだと私個人は思っている。
踊らされたことに気付くのはまだ良い方で、アレを単純に見て「面白くない」という評価とかを下す人間は更に判ってないわけだ。判ってる振りをしてるだけ。
内向きに向いてる作品を外向きの作品だと勘違いして、んで評価するなんて馬鹿げた話で、この辺はイノセンスの時も強く感じた。
内向きの作品なんだから、外向きと同じように評価するのは間違いなんだよ。内向きを評価云々するのは、内向き用の評価法があるわけで。
という訳でKill Bil2。バリッバリの内向き作品、と思ってた訳だ。
が、違うんだよこれが。
「外向き」なんだよ。少なくとも何でもあり感がすっきり無くなっている。
アストロ球団が終盤に向けて、熱い漢が文字通り死んでいくと同時に、作品のスピード感もパワー感も薄れていった、それと同様に、今回は仇の数が減るに連れて、作品の気が急速に抜けていく。まず唖然とするのは今回、殺陣らしい殺陣が無いこと。クレイジー88や、ゴーゴー夕張とのまさに血飛沫を上げるような戰い、そしてオーレンイシイとの壮絶な剣戟という、ざっと挙げただけでも強烈な印象を与えたあの闘争シーンが、今回はもうがっくりする程の精度で数回あるだけ。
今回目玉だった筈のサンダ対ガイラの対エル・ドライバー戦も微妙な終わり方を迎えるし、バドは戦ったかどうかも怪しい。
その上、我らがザ・ブライド、ブラックマンバは開始数分でバドの騙し討ちに合い、哀れ敗北してしまうのである。
敗北→修行→再戦という流れは確かにアリだが、今回の修行部分はパイ・メイという過去に於ける師匠との手合いである。
つまり、過去の修行な訳。しかも、虎鶴拳をいきなり使い出し、剣戟がメインの筈のドラマで、最強の奥義、「五点掌爆心拳」を収得したり、ワンインチ・パンチを覚えたりと、なんでカンフーなのかが判らない。
一作目に於ける一番の目玉、少林寺三十六房のオマージュであるクレイジー88との戦いでも、カンフーは使用していなかったような気がするので、「はて?」と思う。つまり、虎鶴拳に日本刀の剣術を使った上に、ワンインチパンチに五点掌爆心拳まで撃てるという状況で、剣術だけを使用して戦うという、ストUに於いて波動拳だけ使うリュウみたいな事やってるわけで。
しかもワンインチパンチの使い所も実に虚しい。対人戦では使用不可なのかッ!? いや、昇竜拳の様に掘り進める様ですが。(そんなに強いのかよッ!)ゲッター2みたいなパンチですな。
と、それはさておき、折角パイ・メイみたいな美味しいキャラが出てるのに、此処で打ち止めなんですよねぇ。
ソニー千葉と戦わせてオヤジ臭い戦いを見せてくれたりとか、ビルを、「この馬鹿弟子がァッ!」っとぶっ飛ばしてくれたりとか、そういう展開を期待していたので、ちょっとがっかり。
服部半蔵VSパイ・メイ。燃えそうじゃないですか。
その上、エル・ドライバーに毒殺されていた事が判るのである。
しかし、我らがザ・ブライドは殆ど何も感情を害さない。
「パイ・メイ先生…」と劇中で言っていたり、五点掌爆心拳を継承していたりする所から、師弟としての関係は良好だったと思うが、「よ、良くも師匠をッ!」と復讐に身を燃やしたりしないかなぁと思ったが、それも空振り。パイ・メイ…浮かばれぬキャラよ…。
また、えっれぇ渋い演技を見せてくれるビルとバド兄弟も、双方服部半蔵の剣を持ってるんだから、派手に剣戟を繰り広げるとか見たかったなぁ。つーか服部半蔵が戦わないというのがそもそもがっくり。それはさておき。
さて、エル・ドライバー戦ですが、これもまた拍子抜けなのである。カンフーアクションは良いのだが、肝心な剣戟―しかも、エル・ドライバーがザ・ブライドの剣、ザ・ブライドがエドの剣という重要な局面で、あっさりと幕を閉じる。
オイオイ。てっきり空中を飛び交って、ビルの10個は壊して回ったり、擘く銃声が大地を紅く染める程の銃撃戦だとか、クレイジー88並の屍山血河を築く脅威の剣戟とかを期待していた俺としては、せいぜいヴァニータ・グリーン戦並の幕引きは愕然。
と言うように、vol.1の様に全てを投げ打った様なバカみたいな展開は無い。
全てがゆっくりと、ゆっくりと、ビルの死へと近づいていくだけだ。
結局、ザ・ブライドはビルを倒す。
その結果、娘を得たが、彼女は負の感情を抱くわけでもなく、実に幸せそうである。いや、狂ったように笑っている。
なかなか理解しづらい。
愛憎劇の幕引きとして、ハッピーエンドというのは実に虚しい。
しかも、ビル側の人間は全てが復讐を受け入れ、「殺し」という職業に贖罪を求めている者すら居る。それを殺し、幸せを手に入れるのは善か悪か。悪同士の結末に幸せは、有り得ないと思っていた俺には相当に不可解な幕切れだった。

そう、つまり確かにラヴストーリーだったのである。ラヴストーリーは外向きである以上、評価しやすいだろう。が、其処に一作目の様な激しさは、もはや無い。ビルと共に勢いも死ぬ映画、それがkillbillである。

4/1
■ビックリマンの思い出

ビックリマンチョコのついているシールというのは、当時、凄まじい力を秘めていた。
当時、というのは平成初期。バブル全盛、ファミコン全盛、ゲームボーイが出たか出ないかという時期。ガンダムで言うと逆シャア。仮面ライダーはBLACKでとてつもなく下手な歌でOPが話題を呼び、ちびまる子が大ブームを起こした。流行語で追うならば、セクハラやオバタリアン、24時間タタカエマスカ、イカ天などや、オヤジギャル、アッシーくん等が上がり、東京ラヴストーリーが持て囃されるような、そんな時代である。
そんな時代に僕は小学生をやっていた。
その小学生をやっていく上で、ビックリマンは避けて通れない道だったのだ。
まずビックリマンシールがどういう物か説明しよう。
ビックリマンシールとは、ビックリマンチョコについているおまけシールであり、表側にキャラの絵と名前、裏に説明が書いてある。そして、主に大別してシールは、天使、お守り、悪魔の三種類に分けられており、その他にヘッドという、とてつもなくレアなシールが一弾に一枚から数枚存在する。
一弾、というのはこのビックリマンシール、何弾にも分けられており、一定の期間が過ぎると旧弾のシールは無くなり、新しい弾のシールと入れ替わる。つまり一定期間しかシールは買えないのである。
と言うようなものが一応のシステムだった。
そんなもん集めようとする方が悪い、そう思うかもしれない。
しかしながら、ビックリマンシールの恐ろしい事は、そんなコレクター意欲の裏側に、最悪のルールを植え付けてしまった事にある。
というのも、このシールはみんな欲しいわけである。つまり、好きで当たり前、嫌いなら話題から取り残される訳だ。取り残されてしまえば最後、子供というのは残酷な生き物のため、友人関係という同盟がいつの間にか無くなり、気が付くと孤立無援の状態に陥っているという事がある。
つまり、シールその物に価値はないだろうが、それでも話題に取り残されない為の必須アイテムとして、ビックリマンシールは機能したのだ。
それだけではない。ヘッドという物を持つと、子供の集団の中でもヘッドなのだ。「○○君さー、ヘッド沢山持ってるらしいよ」「まじでー? 遊びにいこうぜー」
と言うような具合に、ヘッドを持っている事は絶大な力に繋がった。見せびらかす事が出来、尚且つ話題になり、集団の中で上位に君臨する事が出来、その上シールを与えれば同盟を結んでくれるという、まさに理想のシールがヘッドだったのだ。
実際僕も、ヘッドを沢山持っていて、叔父さんが駄菓子屋だかを経営していて、毎弾数箱買うという超実力者とコネクションを作り、そのお零れに預かったりしたものである。
つまり、子供社会に於いて、ビックリマンシールを持っていればそれだけ地位が安定する訳である。即物的で残酷なルールである。
だから、例え友人作りが下手くそな人間でも、シールさえ持っていれば友人は作れたのである。
また、ビックリマンシールがブームを起こした原因はまだあり、そこには集めるという心理の裏を掻いた策があった。
シールは大別し、天使、悪魔、お守りに分けられると言ったが、これらは1セットになり、裏面には、その系列の残り二枚の絵が描かれている。
残り数十枚ではなく、残り二枚なら集める気になるだろう。
が、大体は思ったようにシールを集める事は出来ず、他の系列のシールを引くことになる。買えば買うほど欲しくなるというコレクター魂に火を付ける策である。
また、弾がすぐに切り替わるので、早々に買わなければコンプリートは無理である。結果、沢山買うわけだ。
このように、ビックリマンシールの購買者は実に搾取され尽くされていた。
僕は例の叔父さんが駄菓子屋の子供や、近所に住んでいたスネオみたいな子供と「ダブった時は優先的に僕に頂戴ね」という同盟を結んでいたため、結構な数の必要ないシールは集まっていったが、ヘッドは貰える訳が無く、やっぱり買うしかなかった。
しかし、終いにはあまりの物量差に閉口し、ムックを買ってきて、其処に載っているストーリーや設定、サイドストーリー、カードの殆どを暗記し、物量ではなく知識で優位に立った。シールを買う必要が無く、尚且つビックリマンには詳しいという位置付けの人間は居なかったため、何かと重宝がられたのは作戦勝ちだったと言えよう。
さて、ビックリマンの活躍を嗅ぎつけたのか、他の各社も挙って類似商品を展開した。
SDガンダムシリーズのカードダスや、ドラゴンボールのカードダス。また、ビックリマンシールの類似品などである。
これらも爆発的な人気を博した。
が、種類があるという事は、価値観の多様性に繋がり、即ち、「こっちは興味有るけどこっちは興味ない」という派閥の成長を促すと同時に、興味が全くないという価値観を認める事にも繋がった。
従って、興味がないという連中が他の娯楽に手を出し、それが多数派に転じれば、もうカードやシールを集めなくても良いわけである。
この頃、スーパーファミコンやPCエンジンなどが発売され、シールやカードという一過性の物よりも、ゲームの方に興味が移っていった。僕もまたスネオみたいな奴に、「スーパーファミコンで順番が来ればやらせてよ」という同盟を結んでいた。
何しろゲームは一本一本が高いわけだし、そうそう本数を持っていなくても何とかなる、そう思ったのかもしれない。
が、今度は「どのソフトを持っているか」という事でまたにわか同盟が結ばれるわけである。即物的な慣習は断ち切れなかった訳だ。歴史は繰り返されるのである。
このような即物的な状態は愚かであり、ブームに流されて居るのは明白だった。
従って、アレだけ一生懸命覚えたビックリマン関連の知識は今殆ど無い。
また当時SDガンダムのタイアップか、ガンダムの1stから順番に再放送が随分されていたが、僕はそういうのが見たかったのではなく、騎士ガンダムやSDガンダムとしてのストーリーであり、知識で物量に勝る為の武器が欲しかったのだ。その為、あんまり力を入れてガンダムは見なかった。後年たまたま見返した際に面白いと思わなければ、SDガンダムとのギャップで生まれた、「暗くて重苦しくて何をやっているか判らない」という固定観念を拭えなかっただろう。
ブームを追うのは構わない。しかしブームに流されるのは面白くないのではないだろうか。今現在何がブームだか判らないが、そればかりに目を向けていると、きっと足を掬われる。それだけは間違いないのである。娯楽といえどのめり込まず、ほどほどに楽しまなければ、自分を見失ってしまう。ビックリマンシールを見ると、そんな風に思うのである。
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