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■ニュースサイト懐疑論

物事の良し悪しを見極めるのは重要なことだ。
しかも、特にインターネットはその情報に責任が持たれていない。風言流布の類いにコロッと騙されても、それは自分自身の責であり、他人を咎める前に自分を戒めるべきである。
だからこそ、選定眼を磨き、身をそばだてて、自己を律しなければならない。しかしながら、所詮、我々が携るインターネットなど、生活に密着している訳ではない。娯楽の延長線上に過ぎず、他者の生活を脅かすほどの影響力など無いものだ。
自然、其処に危機感など抱かず、表面上ソッと撫でるだけが多いだろう。
今回は、敢えてそんな「薄い業界」と思われるニュースサイト業界に、物を申してみたい。

僕も過去、ニュースサイト論を語ったことがある。
こちら、がそれに当たるが、この時は俺ニュースが閉鎖し、ニュース界が変動するか、と期待を持って書いていた。
しかし、今現在、変動したかと言えば、どうだろうか。
現状といえば、俺ニュースの劣化コピーサイトが雨後の筍の如く、爆発的に出てきたのがこれを書いたそのすぐ後だった。しかしながら、過去その手のサイトが自然淘汰されたのと同じように、数カ月で軒並み更新が止まり、消えていった。
その結果出てきたのは、俺ニュースの表面だけをなぞった、最悪にも限りが有ろうと思えるようなサイトの数々だった。
一体、どこが最悪なのか。
この手のサイトは、ある意味で開き直りをしているのだ。
過去に書いた時には、「一行コメント系」などと書いたニュース羅列系が、今ではそのコメントすら消滅している始末で、尚且つ、全員が全員、俺ニュースのような顔をしてニュースを集めているのだ。
もっと端的に言ってしまえば、孫ニュースで有ることで自己主張していたという、ある種個性だった筈のスタイルが、単純に大量生産の手段として用いられた結果、愚にも付かない二束三文のニュースを大手サイトから掻き集め、それを単純に放り投げているという現状がある訳だ。
余談だが、僕のサイトも稀に、ニュースに載る事もあるらしく、それを取上げてくださった方々のサイトに、訪問しに行くのだが、その先には、愚にも付かないコメントを載せてくださっている方が居ることもある。
思わず失笑してしまう様なコメントという物もあり、そういうサイトというのはその後も数度見るのだが、昨日、これは酷いなあと某氏と話していた時、某氏も取上げられたサイトがあんまり酷いコメントを寄せていると話していたので、どのサイトかと言えば、僕が失笑したサイトであり、ああ、成程と頷いたりした。
この様に、悲惨なコメントを寄せるようなサイトが、増えている気がする。
これは一体どうしたことだろうか。
サイトを構築したからには、裏に必ず、秘めた何らかの意図が有るはずで、それはニュースを単純に集めただけで充足される、なんて事はまず有り得ない。
ニュースの集め方で個性を伝える、なんてのはまず有り得ないし、そんなことで自己主張するような輩は、箸の並べ方で性格を述べようとしているようなものであり、ピントがずれていると考えても良いだろう。
改めて考え直せば、元々、ニュースサイト自体の性格が、客観視すれば大変に不思議なものではある。
有名なネット系雑誌の弁を借りれば、「文才も音楽的才能も、絵も描けない人間が出来る自己主張」とされている辺りが既に間違いで、そんな人間が果たして、何の意味があってやっているのか、想像が付かない。

話が変わるが、某氏と会話をしていた時に、「ライトノベルは読者に模倣した小説を書かせる効能がある」とおっしゃっていた。これはまったく、面白い説である。
まず第一に、ライトノベルは敷居が低い。
強烈なキャラクター、斬新な設定辺りが存在すれば、もう既に名作確定で、残りはどこかで見たような設定だろうが、平々凡々なストーリーだろうが、どうにかなってしまうものだ。
ましてやそれを模倣、となると、更にグレードは低く抑えることが出来、簡単に味も素っ気もない素人小説が書き上がるという訳だ。
第二に、思惑という奴がほぼ確実に存在しない。
何らかの訴えたいテーマだの、ドラマ性をアピールだの等という、有り体に言えば、重い話は敬遠される傾向がある。
自然、先に挙げた要素が何種類かエッセンスだけ抜き出され、シェイクされた結果出てくるだけ、とこうなる。
第三に、キャッチーな看板を背負っている。
これはライトノベル的には大変重要ではなかろうか。
表紙が可愛い女の子だったり、流行りの絵柄だったりすれば、漫画との境界線が消えていくだろう。そうすれば、如何に中身が硬派な中身だろうと、表紙の印象が一切中身に影響を及ぼさない、なんて事はまず無い。
キャッチーな看板を背負うことで、購買層を楽な気持ちにさせるのだ。
と言うように考えていけば、陳腐な理由も何処か意味があるのでは無いだろうか。
さて、話を戻そう。
この、ライトノベルの模倣を推奨する流れ、どこかで見たことがないだろうか?
そう、今回の話、模倣サイトを作る流れと大変似通っている。
サイトの場合は、ライトノベルより更に力量が必要ないため、もっと凄い事になっているのだが。
第一の要素、敷居が低い事は完全に満たしている。
特にニュースサイトの場合、記事を拾ってくるという単純な作業だけで、文章の要素を再構成する手間があったりするライトノベルよりも、敷居が低いだろう。
第二の要素、思惑という奴がほぼ確実に存在しない事についても、満たしていると言えるだろう。
ニュースサイトの場合、何よりも重要なのは速度だ、と思われている節がある。これは確かに重要であり、新しくて面白くて、誰も知らない情報が沢山あるならば、思惑なんぞ必要ないかもしれない。
第三の要素、キャッチーな看板は、模倣サイトの場合の体裁、と言い換えることが出来るだろう。また、トップの上に貼ってある意味の分からない絵などは、そのまま等価の物と判断できよう。
あのサイトの真似をしていますよ、と思わせることで、それだけで話題性を提供し、客の目を引かせる。
仮に、模倣されたサイトが消滅していた場合など、付加価値がそれだけで高まるし、制作者的にはいよいよ、模倣に徹すれば良いだけで、楽な事この上ない。

という様に、殆ど何も考えず、取りあえず模倣するというサイトが近年、多すぎる気がする。ただ、仕方のない一面もあるのだ。どう言うことかと言えば、それは、閲覧者がそのような形式を好む、という事が段々判ってくる事である。
どういう物を好むか、という考え方はとても重要だ。
それが判らなければ、到底客は来ないし、何より自分がやりたいこと全てが、他者に受け入れられる事など有り得ない。
どこか微妙に変化させるのは自然のことである。
そして、閲覧者が好むニュースサイトのあり方が、先程書き記したように、言ってしまえば薄っぺらい、ジャーナリスト性が皆無なスタイルになってしまうのである。
仮に、ジャーナリストの端くれと考えながら書けば、記事に責任が出てくるだろうし、何かしら訴えたい事はあって然るべきだと思う。逆に、その要素が皆無で、単純に濾過器以外の何物でもないのが、今のニュースサイトと言えるだろう。
濾過器という表現は若干判りづらいかもしれないので捕捉すると、ニュースサイト間でやり取りされるニュースの傍流を川に例えるならば、大小様々なサイトがあり、大手サイトから中堅、弱小と流れていくのはお解りになると思う。
その際、面白くない情報、必要のない情報が含まれている事も多々ある。それをフィルタリングし、面白いと思う物を抽出する、この作業が濾過器の作業である。
また、ニュースサイトには、濾過器としての意味しか求められていない。従って、ニュースサイトの価値は、濾過器としての性能その物とすら言えるだろう。

しかしながら、情報の流れは、その濾過器の価値すら失わせる。仮に、濾過器としての性能が優れているとしよう。しかし、優れていれば、他の濾過器が目を付ける。目を付けたなら、その濾過器を簡単にコピーすれば良いだけだ。
つまり、必死に濾過して、抽出した物を、とんびに油揚げを掠われるが如く、また他のサイトに取られてしまう。そして、濾過器として巨大ならば更に他サイトに拡散し、いよいよ濾過器が濾した意味など皆無という事になるだろう。
こうして見れば、元々情報の価値など微細にも関らず、それをより集め、せっせとサイトを築き上げる意味など、殆ど見あたらない。
しかしながら、其処に意味が存在するとするならば、それは単純な模倣ではなく、個性にあると思えないだろうか。
気の利いたコメントや、知識に裏打ちされた意見などは、其処に付加価値が加わり、単純な薄っぺらい物ではなくなっていく。
我々は選定眼を磨き、そういう物こそ評価すべきだ、と僕は考える。何も濾過器の性能争いを疎んじる訳ではないが、そういうサイトのあり方はどこかおかしい。サイト管理者は管理者としての自覚を持って、自己の発言には責任を持ち、何でもかんでも拾ってくれば良いという姿勢ではなく、もっと一人間として恥ずかしくないスタイルを貫いて欲しい。

1/17
アニオタニュースさんが閉鎖の事。

二日も遅れてしまった。
ショックだなぁ。
去年だけで、僕の好きなサイトはごっそり消えていったのだが、今年一発目がアニオタニュースさんとは…。
大体、ニュースに際してのスタンスで見る俺としては、ただ情報列挙して、さー孫ニュースの奴ら持って行け! なんて投げ打ってるニュースサイトにはなんにも感じないし、そういうのが増えてきている感じはする。
そうじゃなく、きっちりと面白いコメントを色々判ってる人がコメントしてくれてる数少ないサイトだったなぁ。
すっげー尊敬してました。
なんか色々書こうと思ったが、思いつかない。
兎に角、復活に期待したい。

1/15
1月19日都青少協総会で答申案を強行採決(羊羹フルコース)
これ自体が何、という事ではないのだが。
僕は、最近の流行というのに付いていけない古いオタクだが、それにしても、確かに一歩引いてみれば、最近の主流文化、エロゲ、ギャルゲを下敷きにした萌えブームというのは、どうにも好かない。
好かない理由を此処に事細かに書くのは割愛するとしても、まぁ過去僕が書いてきた物を二、三読んで貰えば判ることだ。
これには、購買層が望む物を制作者側が作ることにより、何時までたっても萌えで停滞したままだという悪循環が有って、まぁ何が悪いって、あんまり中身が大した物じゃなかったとしても消費者が評価する事で、その位のレベルでずーっと推移しちゃうのが不味い訳だ。
過去、日本はこの娯楽産業を国レベルで梃子入した歴史もある。
だから、今現在この手の条例で、若干でも面白いもんが増えるなら良いなぁと甘いこと考えていた訳ですが。
これはしかし、そういう風に働く条例ではない。

作品を作る上で、エロ、というのは相当大きい足枷である。
これは間違いない。何故って、構成上、紆余曲折を経て、ヒロインと心理的に折り合いを付けていく過程を確実に描かねばならない。
じゃないと、「リアリティが無い」とか言われる訳である。
で、その心理的折り合いの過程を描くには、お話の大部分をヒロイン相手に割かなければならない。
性格立てやキャラクター付けをし、それに即したイベントを作り、一歩一歩話を進め、起承転結の転にカタルシスを置き、尚且つ笑いが無ければダメである。
これだけ詰め込めば、大体はヒロインとの日常的な会話は欠かせず、日常的な会話に容易にリアリティを持たせるならば現代、そして購買層や、主人公達の一般的年代、また対象者の求められる層から算出されると、10代後半から20代後半が主役、ヒロイン達の年代の大体の目安となり、大様にして学園物、と相場が決まる。
予算を安く抑えるためにキャラクターを削るならヒロインと主人公だけという一極的な構成になるのは必然であり、結局何もせずとも既にこれだけの足枷が存在する。
鼻くそを穿ってプロットを練る前にこれだけ足枷があるのだ、制作者が頑張る以前に、道はすこぶる狭いと言えるだろう。
だから、消費者も微細な違いでしか判断出来ず、自然レベルは下向きになる。
だからエロは普通なら敬遠される筈だし、評価の対象にもなりづらい筈である。
しかしながら、それが評価され、剰えムーヴメントの先頭に立っているという現在は、歪んでいると言わざるを得ない。
では、エロを排除するこの条例は、良きに働くと思われるだろう。
しかし、事はそう単純ではない。
アメリカで有名な悪法とされる禁酒法、これは、酒を販売、製造する事を禁止したものだ。
これがどう作用したか、懸命な諸兄はお解りだろうが、結局酒を禁じた結果、裏でそれを密造したマフィアの勢力の増大を助長する事になった。
確かに、エロを禁じれば、エロゲがブームになることは無くなるだろう。しかし、その代わり、他の所にはけ口を求めるのは必然で、しかもエロゲで慣れきった連中は似たような物を求めるのも判りきっている事なので、類似した商品が出てくるだけに過ぎない。
一向に抜本的な解決には繋がらないのである。
90年代初頭に起きた悪本追放運動にしても、結局今現在何か良いことに繋がったかと言えば、疑問が残る。
また、暴力表現についても規制がかかるという。
これには甚だ疑問を感じる。
またアメリカの例を使うが、アメリカでは年齢規制の文化が完璧に存在し、警察が拳銃で犯人を撃ち殺すシーン一つで年齢規制がかかるほどに整備されている。
しかしながら、それとは別に、あの国はスーパーヒーローの勧善懲悪文化が存在する為、暴力はある意味で肯定されている面がある。そりゃ枕元に拳銃があるような国である、肯定せざるを得ないとは思うが、そういう矛盾が存在している。
では、日本で暴力を完全否定すればどうなるか。
これからイラク派兵を決めて、アメリカの独裁を許すな等と片方で言い、何で暴力を片方で否定するか甚だ疑問が残るのはさておき、またはけ口を求めるのは必然だろう。
結局、店頭には味も素っ気もない物が並び、面白い物は地下に潜る。
これが良いことかどうかは、まぁ各人の判断に任せるとしてもだ、犯罪の抑制には遠いような気もする。
まぁ、10年周期で喚き立てる良くある規制だとは思うが、興味有る方は調べてみるのも一考かもしれない。
但し、どう考えても明らかに検閲に思えるのは気のせいだろうか。

1/14
■年に1,2回、北海道に住んで居ることが嫌になる事がある。
雪は降らないに越したことはないし、寒くない方が良いが、昨日はそんなレベルを遙かに逸した、凄まじい大荒れだった。
家を11時半に出て、いつも11時54分の電車に乗るのだが、それを些か早めにして電車に乗る。
電車が出発しない。
幾等待っても出発しない。
漸く出たと思えば、停止信号が出たと言い、隣の駅に行く前に止まる。結局、次の駅に着いたのは乗ってから30分の後だった。いつもならば目的地に着いている時間である。
その後もなかなか出発せず、止まったり進んだりを繰り返し、目的地に着いたのは15時15分前後。
13時開始の用事だったので、大遅刻は既に確定である。
しかし、真の地獄は此処からであった。
駅から約30分歩かなければ目的地には到着しないのだが、外は想像を絶する猛吹雪。
視界が吹雪で閉ざされ、顔の皮膚が凍りつきそうなほど硬直し、吹雪が叩きつけられる度に猛烈に痛むのだ。
ところがそれだけではない。
道がないのだ。
道がない、という表現は要領を得ないが、簡単に言ってしまえば、強風により雪が万偏無く慣らされ、道全てが膝まで埋まるほどの雪に覆われているのだ。
歩ける訳がない。
が、何時間も電車に余計に揺られた上に、此処で帰るにも帰れない。既に面白可笑しくなってしまっているので、仕方無く膝まで雪に浸かりながら進む。
しかし、膝まで雪に浸かって前に進むのは、考えるよりも余程重労働である。
最初は膝までだった雪も、終いには腰までになり、どっぷりと雪に腰まで浸かり、最後には四つんばいに近い状態で前に進んだ。
その上、風も容赦なく強い。立って歩いているのに、前に進めないほどの強風なのである。
結局、30分の道を50分近くかけて漸く目的地にたどり着くが、暖房が効いていないため、雪でずぶ濡れになった下半身は最後まで乾くことはなかった。
つくづく、北海道に住んでいるのが嫌になった一日だった。

1/12
ライアーソフトのゲーム発売記念コラムうぱーのお茶会

おおぅ、痛烈。
相当激しい切り込みで、背筋が寒くなる事必至ですな。
でも大体、思いつきの設定をくっつけて、途中で飽きて放り出すのがこの手の作品の特徴なので、マジになって批評してると批評した側が莫迦というおまけ付きだよな。
まー、他人に押しつけないなら問題ないんじゃないのかな。
過去の恥として封印する分には、HDDの容量の無駄としても大した量書いてる訳もねぇし。
問題は勝手に夢見て、力量が一切伴って無いにも関らず、その手の学校に入っちゃう人だよね。お金の無駄だよな。
やるならトコトンまでガチッとやらないとダメですな。

ネットでの評判がライトノベルの売上げにどれだけ影響を与えるか、という話。スカベン

関連して。
まー、秋山瑞人くらいしか読んだこと無いので何とも言い難いのですが、「なんでラノベに居るの?」っていう希少価値感で売ってる感もあるので、逆に遭遇する方法がただひたすら盲目的に買うか、書店でちょっと立ち読みするか(と言ってもそれも厳しいなぁ)、評判を聞くしか無い訳ですよ。何せパッと見で作品内容は判断できない業界な訳です。絵で買うのはちょっと違う訳で。
ラノベを買う人間に若干偏見を持っている僕ですが、大体イメージ的には、「面白いから読む」と言うよりは、「なんとなく暇つぶしで読む」感じが強い訳で。
だから凄く場当たり的で、視野狭窄の状態で買ってくるとしたら、絵だけでパケ買いとか、先程のニュースみたく殆ど何にも考えずごちょごちょと模倣してみるとか、その程度の位置付けが多いんじゃないかなぁとか。オタとしても、メタエロゲくらいの娯楽な訳ですし、それならば注目株を発掘だの、娯楽を本当に求めて買うような、ある程度小慣れた読者が果してラノベを買い続けるかどうかという事ですよね。
答えは否です。
ラノベ自体が読書離れが著しい若者層から、どうにか金をペイして貰おうという意識から出てきた産業ですし、その存在の性格自体が既に場当たり的で、あんまり考えに考え抜かれた物じゃ無いわけです。
だから、暇が無くなればそんなの読まないし、その産業が与える影響だの、そういう要因も大して考えられてない垂れ流しの印象が強いんだし、所謂「薄いオタ」がメインですもの、そりゃ評判になった作品に手を出す連中は、既にある程度濃くなってしまったと考えても良いんじゃないでしょうかね。
濃いオタが薄いオタより少ないのは当たり前だし、そりゃ売れるわけないんじゃないかなぁ。
そもそも出版業界が冷え込んでるんだし、全体量が少ない上に、薄いオタが多い昨今、良い物が売れなくなってるのも、全部読者の責任な訳です。
まーラノベ自体が薄いオタ発生器だから、出版社も悪いのか…。

1/9
新年明けました。
でも御目出度くないです。
もうかれこれ更新止まって約1月ほどのご無沙汰です。

掲示板でも、生存が危ぶまれてたり、更新が催促されたりと、まぁ激しい事になってますが、っていうかL様って誰やねん!
まぁ一応生きては居ます。しかし、すっかり浦島太郎なので、何にも書けないのですねわははは。
コミケどころかジャンプまで消えるとかすげー話もちらほら上がってきてますが、言及するもナニも材料が無いという話ですよ。

あ、あと24日からは普通にネットに繋げませんでした。
年末に衝動的に回線変えたくなるくせがありまして、今回もついやってしまい、40Mになったぜイエーイ。
しかし2週間以上ネット難民でしたんで、ホントに浦島太郎でございますわよ。今まで持ってた経験値が一気にゼロ的なアレで。
その最中何やってたかって言えば、おみくじ引いて女難の相出してみたりとか、波動拳が漸くまぐれじゃなく出せるようになったりとか、(今まではフィーリングに近かった)シベリア超特急が民放でやってるのをしげしげと眺めて、その完璧さに脱帽したりとかそんなもんですよ。
しかし、去年を振り返る暇も無かったので、ネタも無いので去年を振り返ってみましょう。そうしよう。
他サイトでも年末にはやってたし!

去年は娯楽産業的にでかかったのはキングゲイナーとSEEDですよね。特にSEEDは揉めた。少なくとも俺の中では揉めた。大変揉めた。キングゲイナーは面白いくせにスマッシュヒットくらいだったのに比べて、SEEDはホント凄まじいほど売れまくりましたな。地上波で全国ネットだった、絵が綺麗だった、声優陣が豪華だった、だの何だの、もう売れる要因はそれ以上ないほど詰め込んであるし、売れない方がおかしいんですが、しかし、それにしても物には限度ってモンが有るよなぁという事を考えさせられました。
他には攻殻SACが俺内では大ヒット、でも世間一般では其処までヒットせず、みたいな。
まぁ、WOWOWに加入した上に専門チャンネルに加入し、尚且つ金払わなければ見れないってのは、ぼったくってるとも思えますわな。月に2話だったんで、その為だけに金を払うと一話にどんだけ払ってるんだって話ですが。
そんだけ面白かったけども、マクロスゼロにしても、キングゲイナーにしても、「+αの金払わないとそこそこの物は見れないよ?」という何かが市場を支配してる様な気はしました。
OVAの性格的な物が、クオリティの分だけ金は頂くよ? というコンセプトだったので、まぁ変化している訳ではないのですが、他の地上波でやってるアニメは、まぁヒドイ物が多いわけで、これはその内、OVA的な物だけ生き残っていくという事かしらね、とも思える訳です。実際、作画が崩れることが許されないOVAと、作画が崩れようと神作画だろうと話題になる地上波とでは、既に立ち位置が違う訳で。淘汰された時にその意識の違いは、さあどっちが生き残る? という事ですな。
この意識の違いってのはエロゲにも見えた一年でした。
本題じゃなく、まず業界的な話をしますが、エロゲも大分市場整備されて、TVアニメに同人エロゲが! とか、エロゲのTVアニメの主題歌がオリコン20数位とか、大健闘にも見えた気もします。しかし結果はまだ見えてないような(俺が知らないだけかもしれないが)気もしますが、ある意味では失敗が多かったと思います。恐らくシナリオ的な物が大変評価されている作品が、TVアニメに乗っかった場合、評価がなかなか辛い印象があるという現状が。
昼メロ的な要素で売った君が望む永遠にしても、「主婦層じゃなく、あくまでもエロゲオタ向けにカスタマイズされてる」なーんて分析されちゃうし(しかもそれは当たっている)、同人エロゲの月姫は逆にブームを冷ました感があったり。グリーングリーンは弾け方が結局はパンチ力不足だったんじゃないか、という印象が。
つまり、エロゲ的なグラウンドで評価されていても、一般業界に乗っかった場合、エロゲオタだけが評価という事に繋がりかねないなんて思いました。それは数年前のkanonも同じだったし。
もっと突っ込んで言うと、エロゲでしかエロゲマジックは効かないという事なんですね。エロゲの評価基準自体が、他との比較によって生み出されているため、例え評価するにしても、エロゲアニメとまず評価してしまい、アニメ界では闘う前からそっぽ向いてる様な印象があります。
この先、エロゲ業界の中では硬派熱血なニトロプラスがOVAを出すらしいですが、さてどう闘うのかとは思います。特にデモンベインはモチーフがモチーフだけに、半端な事やると逆に痛いですねぇ。
で、本題、姿勢の違いについて。
何だかんだ言いつつ、延期延期また延期を繰り返した巨大ソフトが、ポンと出てしまうという事が何度もありましたね。
SNOWとかLOVERSとかがそれに当たります(クラナドは出てないので除外)。
しかし、結局話題になったからと言って売れるというのは別問題。予約したからと言って必ず買う訳じゃないという事ですよ。
実際、数万本の予約がキャンセルされていたようですし、今はどうだか知りませんが、一般的に5000本売れると減価償却だったエロゲ界で、数万は大きいはず。
いくらエロゲとは言え、お客様はしっかり見ている訳です。
目茶苦茶なバグ出してメーカーサイトが閉鎖なんてのも、話題になったけども、じゃあ話題になったから売れるかと言えば、売れるわけないんですよ。当たり前の話ですが。
順番前後しますが、先程挙げたアニメ化したエロゲはいずれも、エロゲにしては随分と考えられていたし、販売も不味くなかった物ばかりでした。それが結局頭打ちされるって事は即ち、ですよね。まぁ、売れただけにそれにおんぶにだっこで、次の手が後手後手に回ってるきらいはありますが。
何はともあれ頑張って欲しいものです。
アニメ、エロゲと来たんで、次はなんだ? 一般ゲーム?
…コンシューマからは足を洗い、アーケードは冷え込む一方なので、さっぱり詳しく無いんですが、一歩離れた所から見ると、結構冷え込んでるような印象がありますねぇ。
今のクソゲーって、昔のクソゲーと違ってそこそこ遊べるんですよね。これは恐らく間違いないと思います。
でも売れない。
その原因は矢張り、飽きっぽいからでしょうね。簡単な事で。
手前みそにガンダムの例を出すと、SEEDは受けましたけど、じゃあ今ガンダムやったら売れるかというと、売れないのは判りきってる事です。価値観の多用化と、娯楽産業の進歩に拠る閉塞化、多用化が原因だとは思いますけど、それは簡単に言えば何かって言うと、楽しすぎるんですよね。今って。
お腹が空いても食べるものが何処にも無いなんて事はあんまり無いし、ゲーム以外にも、インターネットだのカラオケだの携帯電話だの何だのと、お金を落とす業界が増えまくっていて、ゲームだけやってるなんて事は無いわけですよね。
すると、面白い事への興味が沸かない訳です。鼻くそ穿ってても面白いことにありつけるんですよ? そんな楽な事って無いですよ。ちょっとでも詰まらなくなったら捨てるんです。
ファミコンが出てから20年。無条件でOKだった時代は終わりを告げて、面白いことは当たり前、尚且つ付加価値を、と貪欲になった消費者に対応する事が果して簡単でしょうかね。
子供は残酷な位に面白い事に敏感ですし、俺みたいな老獪はもうそういう精神は無いので打開策も見あたらないんですが、厳しいですよね。ってこれ去年の総論じゃねぇじゃん。
まー行き詰まった例としてはポリゴン進化し過ぎとか思いますね。トゥーンレンダリングが主に凄すぎて、見ているだけで恐ろしくなりますねぇ。何せ、バーチャファイターの頃には考えつかなかった精密度でキャラが動いているんですよ。下手打てばアニメに出てくるキャラと同じのが動いているんですよ。恐ろしいですよ。
そこまで当たり前になっちゃったら、次が無いと思えてしまう。
現に、FFは前作から大きな進化がなくなってしまいました。
ゼノサーガも同様。日進月歩、ドッグイヤーのコンピュータ業界が行き詰まってきているという事じゃないですかねぇ。
ガンダム的にはSDGF(だっけ?)が受けちゃうと、次回から大変です。MSが全部トゥーンとか恐ろしすぎる。現に戦闘妖精雪風とか、マクロスゼロ、SEEDなんかでは普通に機体がトゥーンだったし。デジタル化は何となく受け入れちゃいましたが、トゥーン化はおっそろしいです。やめてほしい。
しかもそのデータがそのままの形ですぐにゲームに。怖すぎます。原作とゲームが一緒というのは、なんか怖いです。
と、放り投げたままで終了。漫画とか小説とかはどうでもいいや。
言いたいほどの変化も無かったと思えちゃった。
まぁナニ言いたいかさっぱり判りませんが、2004年もよろしくおねがいします。
しかし、リハビリにしてもひでぇ文章だ。
過去
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