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豊田商事事件
1985年(昭和60年)6月18日午後4時半ごろ、大阪・北区にあるマンション「ストークマンション扇町」の回りには、約30人のガードマンや、報道陣で人垣が出来ていた。

その人垣を押しのけて、2人の男が5階のドアの前に立った。
飯田篤郎と矢野正計であった。

ガードマンに詰問されると、飯田は、「名前なんかどうでもええ。鉄工所を経営しとるもんや。永野に会いたいんや。開けんかい。お前ら、よう、こんなやつのガードしとるな」と怒鳴った。
報道陣の問いかけに、飯田は、「被害者6人から、もう金はいらんから、永野をぶっ殺せと頼まれてきたんや。ドアを開けんかい」と声を荒げ、飯田は報道陣から取り上げたパイプ椅子でドアを激しく打ったが、応答はなかった。
矢野が玄関脇の窓のアルミ桟を数回、力まかせに蹴った。2人は折れた桟をはぎ取ると、窓ガラスを蹴破り、呆然としている報道陣を尻目に、部屋に飛び込んだ。報道陣のカメラがいっせいにその窓の中へと集中した。

数分後、室内で格闘する声が聞こえてきたのち、飯田が窓から出てきた。
血まみれの銃剣を持ち、服にも返り血があった。飯田は胸を張って、周りを見渡した。

「殺ってきた。俺が犯人や。警察を呼べ」

そう言うと、再び、部屋に戻った。2、3分して2人が出てきた。飯田は勝ち誇ったように言った。
「これで死んどらんかったら、またやったる。87歳のボケ老人を騙しくさって、850万円も取ったやつやからな。当然の報いじゃ」

これが、豊田商事社長、永野一男の最期だった。

彼の最期は自ら血しぶきを満面に浴び、歯をむき出しにした断末魔の形相だったという。

この豊田商事事件は、様々な意味で最悪の事件だった。
まず、何が起こったのかを詳細に描いていく。

ありとあらゆる商売は、売り手と買い手が存在し、初めて成立する。
そんな意味では、売った側と買った側に等しくリスクが存在するかのように思えるが、実際はリスクは等価ではない。
売り手はあの手この手で物を売ろうとする。物だけではなく、才能であったり、知識であったり、労働力であったりするが、そこに価値がなければ、買い手が付くわけが無い。
しかし、何らかの形で買い手に明らかな損失が生じる事がある。
これが悪徳商法というわけだ。
その悪徳商法、並みの種類ではない。
有名どころだけ上げてみても、資格商法、かたり商法、SF(催眠)商法、内職商法、マルチ商法(ねずみ講)、展示会商法、送り付け(ネガティブオプション)商法、キャッチセールス、アポイントメントセールス等と様々な種類があり、その全てを掌握するのは難しい。
それぞれの説明はここでは割愛させていただくが、その悪質商法の中でも最悪と言われるのが、この豊田商事事件である。

豊田商事がその標的としたのは、老人である。
日本は世界有数の貯蓄率を誇り、中でも高齢者が騙しやすく、なおかつ金を持っている。そして金を持っていればいるほど、その金を増やしたがり、家族すらも信用せず、一人暮らしをしているものである。

その老人達を、社員達は理解力の乏しい老人に狙いをつけて、あの手この手で長い間ねばって勧誘し、諦めさせて契約を取るというやり方をしていた。一人暮らしの老人のところへセールスウーマンが来て、掃除、洗濯、炊事をやり、一晩一緒に寝たということがあった。

その上で結んだものは、わかりやすく言うと次のような事だ。
まず、消費者との間で、金を販売すると見せかけて売買契約を結び、代金を受けとると、金の現物は渡さずに、「金を自分で保管するのは危ない」、などともちかけて金の保管契約を結び、金の代わりに預り証券(豊田商事の場合、「純金ファミリー証券」)という紙切れだけを交付する。豊田商事の場合、実際には、売った量に相当する金ははじめから持っていなかったため、「純金ファミリー証券」を後から豊田商事にもっていっても、金と替えることはできなかったわけである。実質だけを見れば、この取引は、何の値打ちもない「純金ファミリー証券」という紙切れと、多額の金銭を交換したに過ぎないことになる。
これを現物まがい商法と言う。

しかも、契約が満期になると、強引に更新を勧め、また中途解約には応じず、応じる場合は元金以上の違約金を取り、運用の配当金も支払うことなく、積み立てという名目で更新していくので会社からお客さんに支払うお金はまったく必要なかったのである。

だが、この「ファミリー契約証券」取引は、期限が来れば金地金の購入代金を顧客に返還しなければならず、顧客を無限に拡大しない限り、必然的に破綻する。

その結果、1985年(昭和60年)4月、関係会社の外交員が逮捕され、大量の書類が押収された。

そして、1985年(昭和60年)6月18日、運命の日がやってくる。

会長は確かに死亡した。しかし、そこからが本当の戦いとなる。
同年6月20日、豊田商事は破産し、7月1日に破産宣告。
破産管財人に中坊公平氏他2人が選任された。

まず、豊田商事が雇っていた顧問弁護士からお金を返還させた。
さらに、中坊弁護士は奇想天外な作戦を立てる。

「元社員はお年寄りをだまして高給を手にした。そんなん不法所得や」

彼は一人で国税庁に乗り込んで、豊田商事のセールスマンたちの給料から生じる所得税の源泉徴収分の返還を請求した。

しかし、国税局は応じなかった。

「われわれは賭博の金であっても売春婦の所得であっても所得税というものは取る」

それが、国税局の言い分であった。
だが、中坊は諦めず何度も国税庁に足を運んだ。

一人で、足を運んだ。

そして、ついに、国税庁が折れた。

破産管財人側が従業員を相手取って裁判を起こし、その従業員の報酬契約が公序良俗に反して無効であるということが確定すれば、その分に相当する所得税は返すと国税庁は認めたのだ。つまり、公序良俗に反する行為があった場合、そこに雇用契約があったとすればそれを無効にすることができ、それによって生じた給料は給与所得ではなく雑所得となる。雑所得には源泉徴収義務がなく、この源泉徴収分の13億円を取り戻すことができたのである。

なお、この事件の場合、不当に高額の給料を得ていた豊田商事のセールスマンらに対して、代金の返還ではなく、会社と一緒になって消費者に損害を与えたという理由で損害賠償責任を追及する方法が、多くの訴訟でとられた。これは多くの判決において認められたが、いずれにしても、代金全額が返ってきたわけではなく、被害者の多くが泣き寝入りを強いられたのが実情である。

しかし、このようにして返還を請求し、他のも全部合わせて120億円余りを取り戻すことに成功した。

この管財業務は6年の歳月を費やした。

そして、事件は一様の終結を見せたのだった。

我々が生活する上で、消費する事は必要不可欠である。
そして、その結果損害を被るのは、誰でもなく、あなたなのだ。
2001.OCT.

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