●12/30
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イムジン河
毎年、12月31日に開かれる1年間の音楽番組の総決算の番組、「紅白歌合戦」。今年は21世紀始めての放送であり、今年も興味深い面々が顔を連ねている。
今年は暗い世相を反映してか、明るい歌が非常にヒットしている。

さて、そんな中に、この曲がある。
「イムジン河」
以前、放送禁止歌の時にも取り上げたが、この曲は放送禁止の処置を受けていた歌である。もっとも昨今では2000年にラジオでも33年ぶりに流されているし、NHK衛星放送、NHK「ふたりのビッグショー」などでも放送されている。また、91年に北朝鮮で製作された映画、「バード(鳥)」の主題歌にもなっている。

今回は、「イムジン河」について取り上げる。

朝鮮半島を南北に分ける軍事境界線にそって流れ、黄海に注ぐ河。
それがイムジン河(臨津江、リムジン川)である。

まず、歌詞をご覧頂こう。

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらかり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る

(作曲・高宗漢、作詞・朴世永、日本語詞・松山猛)

さて、この曲、どのような紆余曲折を経たのだろうか。
1968年。この年には未解決に終わった三億円事件が起きている他、川端康成がノーベル賞を受賞した年でもある。
そして、学生運動の最たる、東大紛争がこの年起きている。
そう、放送禁止歌は非常にこの学生運動との関わりが深いのだ。

例えば、ファースト、セカンドと発売禁止処分を受けた、頭脳警察というバンドがある。「赤軍兵士の歌」や「世界革命戦争宣言」と聞けばわかるだろう。過激な表現を歌にしてぶつける。非常にエネルギッシュな時代である。そのため、衝突もあったのだ。もっとも、やり過ぎの感は否めない事実だが。そしてこの時代はフォークへ全盛期である。学生運動とこの放送禁止歌、密な関係なのもお分かりいただけるだろう。

そんな時代、デビュー作、「帰ってきたヨッパライ」で脚光を浴びたザ・フォーク・クルセダーズは、68年2月、アマチュア時代から歌っていた「イムジン河」を、第二弾として東芝音工(現在の東芝EMI)から発売する予定だった。
関係者はだれも曲の詳しい由来を知らず、朝鮮民謡だろうということで前宣伝が進んでいた。

この歌をザ・フォーク・クルセダーズに教えたのは日本語詞の松山猛氏。エッセイストの彼がこのイムジン河の存在を知ったのは約40年前である。
彼が中学生時代を過ごした京都では、在日コリアンの生徒と日本人の生徒の争いが絶えなかった。
何処で会っても喧嘩。何があっても喧嘩という中で、業を煮やした松山氏は、京都朝鮮中高級学校に入っていった。そして、校内で松山氏は偶然、生徒の合唱する「リムジン江」を聴く。
「イムジン河」との運命的な出会いである。
その後、吹奏楽部でトランペットを吹いていた松山氏は、個人練習の場所にしていた九条大橋でサックスを抱えた同じ年ごろの在日朝鮮人の少年と知り合っ た。少年は例の曲のメロディーと一番の歌詞の大意を教えてくれた。そして、アマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズと仲間になり、一人で大切にしてきた曲を彼らに教えた。原詞を基に書いた一番だけでは短すぎる。二番と 三番を創作した。

しかし、それが意外な波乱を生む事になる。

発売まで一週間も満たないある日、東芝に会いたいという話が来る。

その相手は朝鮮総連だった。

総連は、この曲にはれっきとした作者がいるので明記するよう要求した。作詞は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国歌にあたる「愛国歌」を書いた朴世永(パク・セヨン)。作曲は高宗漢(コ・ジョンハン)。原詞とかけ離れた日本語の歌詞も認めないと主張した。

しかし、シングル盤13万枚をプレスし、予定通りの発売へと漕ぎ付けようとしていた。その理由は、北朝鮮が国際的な著作権条約に加盟していないためである。

発売2日前の会見も開かれた。その会場で関係者は青ざめた。

総連が抗議した事実がマスコミに洩れていたのだ。

大混乱の中、会議は終了した。
そして翌日、「イムジン河」の発売は中止された。

さて、一体何故発売が中止されたのだろう。
65年、日韓基本条約が調印され、日本の企業が韓国に続々と進出していた。
そして総連の要求を思い出して欲しい。総連はこの曲を『朝鮮民主主義人民共和国』の曲と書いてほしいと要求してきたのである。当時は政府もマスコミも『北朝鮮』を使い、朝鮮総連が正式国名と主張する『朝鮮民主主義人民共和国』とは書いていなかった。

最大の問題は国名の表記だったのだ。

この問題が日韓関係に罅を入れるのを恐れ、この曲は発売が中止された。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズがライブで歌い、学生運動が盛んだったため、節目には必ず歌われていた。
68年秋にザ・フォーク・クルセダーズが解散しても、「シューベルツ」にこの曲は受け継がれた。
一年半でシューベルツも解散した。メンバーだったはしだのりひこは「クライマックス」を経てソロになった。
そして、この曲がどのように受け入れられていたかを示すエピソードがある。
88年8月、はしだは京都朝鮮第二初中級学校の祖国解放記念イベントに出演した。シューベルツ時代のヒット「風」などを歌いステージを降りかけると、一人の男に声を掛けられた。
 「おい、まだ帰ったらあかん」
 「何?」。はしだは不審な顔で問い返した。
 「あんた今日『イムジン河』歌うてへんやろ。あれ歌わな、帰ってもらわれへんで」
 断ろうとしたが男はあきらめなかった。「じゃあ、もう一曲」。はしだは根負けした。
 「イムジン河水清く、とうとうと流る…」
 夜の校庭。はしだが歌い出すと、あちこちに人の輪ができた。男も女も人目をはばからず泣いていた。はしだは驚き、たじろいだ。
 「ふるさとをいつまでも忘れはしない…」
 松山猛がつくった三番の最後で、はしだも胸がいっぱいになった。こぶしを突き上げ、口々に「オモニ(お母さん)!」「アボジ(お父さん)!」と絶叫する人々の姿があった。
はしだは語る。
「それを見て、初めて『イムジン河』の存在理由の根底に触れたような気がしたんです。この歌の持っている意味がこれほど強く僕の心を揺さぶったことはなかった。分断は親子を、愛し合う者同士を引き裂く出来事だったんだ。ぼくはコリアンの人々の言葉を代弁しながら、この歌を永遠に歌い続けていかなあかんと思った」
レコード発売中止から二十年の歳月が流れていた。

そして―

去年6月の南北首脳会談。その後は多くの歌手、作曲家がこの歌に携わっている。
指揮者の金洪才=キム・ホンジェ=とバイオリニストの丁讃宇=ジョン・チャヌ=、ソプラノ歌手の田月仙=チョン・ウォルソン=、在日韓国人の新井英一氏、韓国人の父親と日本人の母親を持つ朴保=パク・ポー=、奄美大島出身のRIKKIなど…。

2000年9月、キム・ヨンジャは初めて北朝鮮の曲を舞台で歌うことにした。1960年代後半にザ・フォーク・クルセダーズが「イムジン河」のタイトルで歌い、中年以上の世代に知られた「リムジン江」こそふさわしかったのだ。
そしてその曲が、今紅白歌合戦と言う日本最大の歌の祭典で歌われるのである。それはどんな意味を持つのだろうか。

朝鮮半島を南北に分ける軍事境界線にそって流れ、その大地を引き裂くカに思える「イムジン河」が、いみじくも掛け橋になるのかもしれない。

あなたは、もしかすると歴史の目撃者になるのかもしれない。
えー、やたら更新が少ないです。もう怠け癖がついてしまっています。本当にどうしようもない管理者だ…。
なお1月は存在しません。理由はADSL開通の関係で、18日間全くインターネットが出来ませんでした。で、そのあとテストもあって、更新が滞っちゃった訳です。まぁ最低でも週に2、3本は書けるといいです。
でもオクラ入りもこの時期は多いです。
●12/13
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江戸家猫八氏死去
芸人と呼ばれ、あなたは何を考えるだろう。
大体の人間が、「お笑い芸人」を思い浮かべると思う。
辞書を紐解くと、遊芸・芸能を職業とする人、とある。

江戸家猫八氏は、「ものまね」に秀でていた。
落語に比べ、漫才や曲芸、ものまねは「色物」と呼ばれ、脇役として扱われる事が多い。
氏が10年以上在籍していた落語協会では、ついにトリを勤めさせては貰えなかった。芸の種類で優劣が決まってしまう。非常に残念なことである。

氏はテレビでも人気者だった。NHKお笑い三人組の八ちゃん、鬼平犯科帳の彦十。その演技力は特筆物である。

そして、得た賞も非常に多い。
1979年、続く81年には文化庁芸術祭 (大衆芸能部門) で優秀賞を受賞、1982年には昭和56年度 第2回 花王名人大賞(関西テレビ) [諸芸部門] 名人賞を受賞。1986年3月に昭和60年度 第2回 浅草芸能大賞 大賞、1988年には紫綬褒章を受賞し、1994年4月29日には勲四等旭日小綬章を受賞した。

また、近年は話芸にも磨きをかけた。「猫八ばなし」と呼ばれるその話芸の中で特筆すべきなのは、自らの被爆体験に基づく、「従軍被爆記」であろう。
これは、栄六輔をして、「笑う事で悲惨さが浮かび上がる珠玉の芸」として絶賛させた。

そして、結局、氏は、79年には落語協会を脱退し、落語芸術協会に移った。
そして、彼は「色物」としてはじめてトリを勤めた。

その芸は、子猫、招き猫へと受け継がれるだろう。
今年は子猫にその名を譲り渡すつもりだったという。

心からのご冥福をお祈りする。
●12/8
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赤痢
山口県は7日、同県由宇町の2業者などが出荷した生かきが原因とみられる細菌性赤痢が発生したと発表した。患者は西日本を中心に72人にのぼり、先月中旬以降、21府県で赤痢患者が確認されており、その大半が生カキを食べ、発症へ至っているようだ。

一般的に赤痢と呼ばれるのは、細菌性赤痢である。
細菌性赤痢の原因となるのは、シゲラ属菌(和名:赤痢菌属)で、4菌種あり、2類感染症(旧法定伝染病)である細菌性赤痢の原因菌である。

赤痢(dysentery)には赤痢菌によって起こる細菌性赤痢と、原虫である赤痢アメーバによって起こるアメーバ赤痢があるが、19世紀中頃までは両者の区別ができなかったようだ。
赤痢菌が初めて発見されたのは日本(東京)で、1898年に志賀潔によって志賀赤痢菌(Shigella dysenteriae)が分離された。次いで、フレキシネル菌(S.flexneri)、ボイド菌(S.boydii)、ソンネ菌(S.sonnei)の3菌種が発見された。

では細菌性赤痢について説明していこう。

細菌性赤痢は2類感染症である。2類感染症は、医師から地方知事等へ対し、届出が義務とされている。わが国の赤痢患者数は、戦後しばらくは10万人を越え、2万人近くもの死者をみたが、1965年半ば頃から激減し、1974年には2,000人を割り、以降1,000人前後で推移している。
細菌性赤痢の主な感染源はヒトであり、患者や保菌者の糞便、それらに汚染された手指、食品、水、ハエ、器物を介して直接あるいは間接的に感染する。水系感染は大規模な集団発生を起こす。汚染食品、汚染水から経口的に感染し、大腸の上皮細胞に侵入して壊死、潰瘍を作る。感染源がヒトであるので、衛生水準の向上と共にその発生は減少する。サルも細菌性赤痢に罹患し、輸入ザルが感染源になった事例もある。

その症状は、通常、潜伏期は1-3日で発症し、全身の倦怠感、悪寒を伴う急激な発熱、水様性下痢を呈する。発熱は1-2日続き、腹痛、しぶり腹(テネスムス)、膿粘血便などの赤痢症状をみる。
発症後、便中の赤痢菌が陰性化するまで1〜2週間かかる。
菌種による症状は、通常、志賀赤痢菌(特にT型)が、外毒素(神経毒、細胞変性毒素)を産生するため最も重症で、フレキシネル菌、ボイド菌が次ぎ、ソンネ菌による場合は軽症である。

治療、予防についてだが、治療には対症療法と抗菌薬療法がある。
対症療法としては、強力な止瀉薬は使用せずに、乳酸菌、ビフィズス菌などの生菌整腸薬を併用する。解熱剤は脱水を増悪させることがあり、またニューキノロン薬と併用できない薬剤が多いので慎重に選択する。脱水がみられるので、静脈内あるいは経口輸液(スポーツ飲料でよい)を行う。
抗菌薬療法としては、成人ではニューキノロン薬、適用のある小児にはノルフロキサシン(NLFX)、適応のない5歳未満の小児にはFOMを選択し、常用5日間の内服投与する。治療終了後、48時間以降、24時間以上の間隔で2-3回糞便の培養検査し、2回連続で陰性であれば除菌されたとみなす。
 予防の基本は、感染経路を遮断することにある。上下水道の整備と個人の衛生観念の向上(特に手洗いの励行)は、経口感染症の予防の原点である。輸入例が大半を占めることから、海外では生もの、生水、氷などは飲食しない。

ちなみにアメーバー赤痢は、原虫である赤痢アメーバ(Entamoeba histolytica)によっておこる赤痢で、旧伝染病予防法では細菌性赤痢と同様に法定伝染病とされていたが、現在は4類感染症に分類されている。
赤痢アメーバは、その名が示すように組織を溶かす性質をもち、アメーバ赤痢やアメーバ性肝膿瘍などの疾患を起こす。アメーバ赤痢は一時期減少していたが、海外での感染や同性愛者間の性行為感染症として、1979年頃から増加傾向を示している。
感染は赤痢アメーバの嚢子で汚染された飲料水や食物からの経口感染で、数日から数ヶ月の潜伏期間後、腹痛と下痢が起こる。一日に数十回の下痢、粘液と血液の混じったイチゴゼリー状の粘血便が特徴だが、発熱は見られない。


医療技術向上により、一般的に病気は減ってきていると考えてられている。
しかし、今回の赤痢にしても、テトラサイクリンに耐性を持ったりと、医療とのいたちごっこは続いている。
人間が細菌を押さえ込む事など出来はしない。
いかに付き合っていくかを考えていく方が重要ではないだろうか?
●12/1
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自殺
日本は慢性的な不景気である。バブル崩壊後、その景気は下がる一方であり、完全失業率は今年9月の段階で5.3%を越え、完全失業者は357万人を越えた。いずれも過去最悪の数字である。

また、世界情勢もアメリカの世界貿易センターなどに対する同時多発テロに端を発した報復戦争の煽りなどで、非常に混迷しており、先行き不安定である。
そんな中、2000年度の日本の自殺者数は30226人を記録。3年連続で3万人を超えてしまった。

そんな、以前は考えられなかったような時代を、私たちは生きている。

(自殺率の国際比較 人口10万人比率:人口動態統計)
  自殺率 年次   自殺率 年次
日本 25.2 1998 スペイン 8.1 1994
韓国 9.5 1994 デンマーク 22.3 1993
アメリカ 12.0 1994 ドイツ 15.8 1995
アルゼンチン 6.6 1993 ハンガリー 32.9 1995
イギリス 7.4 1995 フィンランド 27.2 1995
イタリア 8.2 1993 フランス 20.8 1994
ギリシャ 3.5 1995 ロシア 41.5 1995
スウェーデン 15.3 1995 オーストラリア 12.8 1994
少し資料が古いが、先進国の中でも、日本はかなり高い自殺の率である。

さて、客観的に資料を書き出したが、宗教的な見地から見ると自殺はどのようなものとして捕らえられているのだろうか。恐らく我々にもっとも縁のある、仏教とキリスト教を例にあげてみる。

仏教では、自他の苦しみからの解放が、目的となっている。
その為、自殺は、煩悩に眼を塞がれた者の所業とされ、煩悩の虜になり、悟りに近づかぬと言う意味で悪(非仏教的)である、とされている。

キリスト教ではどうだろうか。

キリスト教では、正統的な考え方としては、自殺は命を勝手に絶つ行為として、一種の殺人の行為として厳しく咎められるものといわれているようだ。
このように、自殺は、一種の例外を除いては、宗教的見地から見ても、許されない行為の一つとされているようだ。

自殺は、実は全ての生きとし生ける者の中で、人間のみに許された行為とされている。他の生き物は、命の火が絶えようとしても懸命に生き続けるのだ。

今日、12月1日0時から一週間、いのちの電話がフリーダイヤルになる。番号は、

0120−738−556(東日本地区)
0120−739−556(西日本地区)


他人に悩みを共有してもらっても、何の意味も無い等と考えてはいないだろうか?
あなたは、残念ながら、一人ではないのだ。