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秋野豊氏射殺命じた司令官、逮捕U
なぜ、そのように立場が微妙な自衛隊がPKOに参加する事になったのだろう。
それには、大きく湾岸戦争が関わってくる。
湾岸戦争とは、1991年1月17日、 アメリカを中心とする多国籍軍がイラクに対して攻撃を開始し、始まった戦争である。
何よりこの戦争が人々の目に奇異に映ったのは、まるでテレビゲームのような戦争シーンがお茶の間を流れた事にあった。 そして、この多国籍軍というのも実に微妙な位置付けにある。
本来なら湾岸戦争のような場合は、国連軍が出動すべきところであった。
国連軍とは国際連合憲章の定める集団安全保障制度の下で、侵略の防止・鎮圧など軍事的強制措置のために使用される国際的常設軍隊のことである。
しかし、実質、正規の国連軍は一度も出動した事は無い。
朝鮮戦争時に出動した国連軍は、実質は米軍、及びその同盟国であり、本来の国連軍ではない。
そして、国連軍が出動しなかったのは、大国同士の思惑の違いが生じたためである。安全保障理事会の常任理事国であるロシア・中国などの同意が無ければ国連軍は編成できないため、この時武力行使に踏み込む事に難色を示していた両国の同意が結局得られず、多国籍軍が結成された。
朝鮮戦争時の国連軍と同じではないかというかもしれないが、大きく異なるのは、費用は派遣国が全額負担という点である。
さて、そんな状況下で湾岸戦争はイラクが敗北を認め、終結したのはご存知の通りだろう。その際、日本は約150億ドル(2兆円)の出費をしている。
そして、この「お金だけを出す」という行動は世界中でも、国内でも大きな論議を呼び、日本のPKO派遣への道のりを決めたのは言うまでも無い。

こうして日本はPKOへと人材を派遣した。

秋野さんが亡くなる数年前の事である。
彼の残したものは大きい。
国を越え、身体を張り、平和を訴えた彼の意思は、この先も受け継がれるだろう。
http://www.akinoyutaka.org/
以下のページに秋野豊ユーラシア募金のページがある。
平和をもう一度、見直してみるのもいかがだろうか。
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秋野豊氏射殺命じた司令官、逮捕T
98年、外務省から国連タジキスタン監視団(UNMOT)に政務官として派遣され、PKO活動に従事していた秋野豊氏が、搭乗する国連車が首都ドウシャンベ東方の山岳地帯を走行中、身元不詳の武装集団による待ち伏せを受け、秋野氏は同乗のシェフチク少佐とシャルペジ少佐の両軍事監視員、タジク人のマフラモフ通訳兼運転手とともに射殺された。
彼らは、反政府武装勢力の総司令官と面会するため、ガルムのUNMOT事務所を7月20日午前9時に出発した。車は150メートル下の谷底に突き落とされ、4人の遺体は急斜面 のがけの斜面にあった。遺体が回収された時は事件から24時間以上経過していた。銃撃された上に鋭い岩で傷ついた4人は、「身元を衣類で判別 するしかなかった」という。


この問題は、PKOの概念が、我々の持っている自衛隊と大きくかけ離れているために大きくクローズアップされた。
そもそも自衛隊とは何だろうか。
自衛隊は、昭和二十五年に朝鮮動乱を契機として、マッカーサーの指令に基づき
設立された「警察予備隊」が前身であるが、当初は国内治安維持が目的であるとされ、同時に政府の第九条解釈は、自衛戦力を否認するものであった。
しかし翌年、対日平和条約によって日本の独立が回復されると同時に、
国連憲章の遵守(前文)、個別的・集団的自衛権の保有(五条)、
占領軍の撤退後に集団的安全保障条約を取り決める(六条)ことなどが求められ、昭和二十七年四月、平和条約と共に日米安保条約が発効し、政府は自衛力の増強を要求された。

こうして増員された警察予備隊と、先だって設置された「海上警備隊」が統合され、同年八月「保安庁」が発足、十月には警察予備隊が「保安隊」に改められた。
しかし、ここに至っても政府は「第二項で戦力の保持を禁止している」との解釈を維持し、防衛力を駐留軍に依存する形をとったが、これは日米安保条約上で暫定措置とされており、昭和二十九年には日米相互防衛援助協定によって、防衛力の増強が義務づけられることになる。
ここに至り、防衛庁の設置と自衛隊法の可決を以て自衛隊が発足したのだった。


「それでは、憲法第九条に違反するではないか」とお思いの方も多いかもしれない。
それに対し、政府解釈は吉田内閣では、「自衛任務を有し、かつその目的のため、必要相当な範囲の実力部隊を設ける事は憲法に違反しない」とされ、鳩山内閣では「自衛権を行使するための最小限の実力部隊は、未だ戦力に達しないから憲法に違反しない」とされた。

しかし、長沼ナイキ基地訴訟では、自衛隊に対し、違憲判決が出た事もある。
1966年、防衛庁は第3次防衛力整備計画の一端として、68年に北海道空知郡長沼町に航空自衛隊ナイキ基地の建設を決めた。
そのための農林大臣は、同町の保安林指定区域であった馬追山の保安林指定を解除した。これに対して69年7月、同地区の一部住民が農林大臣を相手に起こした保安林解除処分取消請求訴訟が、長沼ナイキ基地訴訟である。訴訟自体は、農林大臣の解除処分の「取消しと執行停止」を求めるというものであったが、実質的内容は、自衛隊は『憲法第9条違反』であるから保安林解除処分は無効であり、かつ同基地の建設は森林法第26条第2項に定める公益上の理由に該当しない、それゆえ農林大臣が行った解除処分には正当な理由がないとする、自衛隊違憲性を真っ向からとらえたものであった。

札幌地裁は、自衛隊に違憲判決をくだした。「自衛隊は、規模、装備、能力からみて憲法9条2項にいう陸海空軍に該当する」

しかし、この訴訟自体は2審、札幌高裁で「自衛隊をめぐる憲法解釈は統治行為として司法審査になじまない」と訴えを却下し、最高裁も憲法解釈には触れず、2審を支持し、原告の訴えは却下された。


このように、自衛隊の存在は非常にあやふやなもので、その状態でPKO派遣が決まっている現状は、非常に疑問を問わざるをえない。

では、PKOはどのような経緯で存在するのだろうか。

PKO(UN Peace-keeping Operations)は、紛争当事国や対立する当事者の同意の下に、国連によって組織された平和維持隊(Peace Keeping Force:略称PKF、各国部隊で編成)による停戦監視・兵力引き離し、停戦監視団(原則非武装の軍人で構成)による停戦監視といったものが伝統的だが、最近は、文民(選挙監視要員、文民警察官など)による選挙監視、人権監視などの行政的支援活動も行われている。

何故、このPKOに日本の「軍隊ではない」自衛隊が選ばれたのだろうか。
(続く)
●2/12
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ソルトレークオリンピック
今月、第19回冬季オリンピック競技ソルトレーク大会の開会式が8日午後7時、ソルトレークシティーのライス・エクルズ競技場で始まった。冬季五輪史上最多の77カ国・地域から、同じく史上最多の78種目に選手約2500人が参加するこの大会は、去年起こったアメリカ同時多発テロの傷跡を大きく残した形で幕を開けた。
多くの無関係な人間を巻き添えにした事件の影響は色濃く、開会式にもテロで崩れ落ちた貿易センタービルの星条旗が持ち込まれるなど厳粛なムードで、アメリカでの開会式をテレビ観戦した視聴率が、平均25.5%と過去最高を記録した。
その感心の高さがわかるエピソードである。

また、日本勢も現時点では、現地時間2月9日のスキー・フリースタイルで里谷多英選手が銅メダルを獲得するなど、健闘が目立っている。

しかし、そんな華やかな表舞台とは裏腹に、我々は忘れてはならない事がある。

84年のロサンゼルスオリンピックより、オリンピックは商業主義へと転換した。ロスの利益は2.5億ドルにのぼり、これ以後オリンピックは開催国の交通、建築、メディア、観光業に大きな発展をもたらし、経済の急速な発展を促すようになった。
例えば2000年のシドニーオリンピックでは、開催中の16日間に国内外より100数万の観光客がシドニーを訪れ、97年からの4年間の観光収入は42.7億ドルにものぼった。

オリンピックはいわば、「金を生み出す鶏」へとその姿を変貌させているのだ。

オリンピックの起源は1896年に始まった近代オリンピックを始まりとしているが、その前身となったのは古代ギリシアで行われていた「オリンピア祭典競技」、いわゆる古代オリンピックである。
古代オリンピックが始まったのは、考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろとされている。当初はスポーツの祭典ではなく、宗教的な行事としての位置付けだったようだ。
その後、393年に一旦その聖火は消えるが、1500年の月日を経て、近代オリンピックとして復活する。

しかし、そんなスポーツの祭典としての輝かしい歴史は、今となっては招致に蠢く委員会の腐敗がクローズアップされる。

99年、6人のIOC委員が追放、2人が辞任、1人が注意処分、1人は死亡という非常に不名誉な事実が世界中を駆け巡った。

その理由は、招致に対し、その職権を濫用し、お金を受け取ったり、子息を学校に入れたりと、とても許せないような理由の数々があげられていた。

サマランチ会長の支配がどれだけIOCを腐敗させていたかを、この時我々は改めて知った。

2001年にIOCの会長は現在の委員長、ジャック・ロゲ氏が就任。
実にこの時21年ぶりに席が変わったのだった。

また、こんなニュースが数日前に報道された。

あの米同時多発テロの加害者、アフガンでは今回のオリンピックを知る者はほぼ皆無だというニュースだった。
同国は1936年のベルリン五輪に初出場後、96年のアトランタ五輪までほぼ毎回出場し、レスリングなどで入賞したこともあるというが、冬季五輪には1度も出場していない。
そして、タリバン政権が女性のスポーツ参加を認めなかったため、同委員会は3年前に国際オリンピック委員会(IOC)から除名され、いまだ復帰が認められていない。

その昔古代オリンピックの時代、聖なる休戦が存在した。

当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかった。これが「聖なる休戦」である。オリンピアからアテネまでの距離は約360km、スパルタまでは130km。武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月ほどになったといわれている。

何も原初回帰を望んだり、稚拙で青臭いユートピア論を語る気はない。
ただ、ここまでにも混沌としてしまったオリンピックに、一種の幻想を抱いても、それが失笑される事だろうか。
この世に聖域を望む事は、恥ずかしい事なのだろうか。
●2/9
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ライフスペース
今月6日、SPGF、ライフスペースのグル、高橋被告に対し、15年の実刑判決が下された。
彼の行った行為は一般的な我々の価値観から見ると、非常に歪曲し、異常な行為に見える。

一連のこのようないわゆる「カルト教団」と呼ばれる宗教団体による犯罪は、95年のオウム事件以来、多く見かけるようになった。
もっとも、その前からもカルト教団と呼ばれる団体は多く存在する。
カルトと呼ばれる教団の定義は、多くあるが、
・信者本人の人格破壊
・信者と信者の家族との間の関係破壊
・信者と社会との関係破壊
この3つが代表的だろう。

さて、このような宗教団体は、一定の集団で行動し、独自のルールで動く。
そして、その集団の中に一度入ってしまうと、ルールに従い、役割を与えられる。
そして意外にも、束縛される事により、人間は安堵するのだ。
「自由からの逃走」(E・フロム)にもこの意外な人間の心理は描かれている。

現代人がカルトに走ってしまう原因も、この辺りにあると考えられる。

また、その中で通じるルールも非常に面白いものであろう。
今回のライフスペース事件でいうと、「シャクティパット」という、教主が叩く行為により、病気が治ると言うルールが存在する。
また、一連の定説と呼ばれる、我々の常識とはかけ離れた特殊ルールも存在するようだ。

このような内部では絶対的な力を持つだろう常識も、そこからかけ離れた生活を営む我々には滑稽に映るだけだ。

しかし、本当にそうと言い切れるだろうか。
我々の倫理観は宗教に基づかないものだろうか。

古来より人間の集団が生み出す倫理は正しいとは限らない。
例えば、ミードがサモア島の思春期を調べた時、文明社会とは違い、存在しない事がわかっている。
また、食人行為や、同性愛、大人になるための儀式など、我々が現在持ちえる倫理観とはかけ離れた思想が存在したのは事実である。
そこで活躍したのはキリスト教である。
キリスト教は勢力を恐ろしい勢いで伸ばし、その倫理観を世界中にばらまいた。

現在、我々が持ちえる倫理観も、キリスト教がその大きな一端を担っているといっても過言ではない。

結局のところ、何が正しいか、何が倫理的か等と言うことは関係ない。
他人がやっている行動から大きくはずれないことが倫理と言うものなのだから。

人間の思想は脆く崩れやすいものだ。だからこそ、自分の中に自分なりの鉄壁のルールを形成しなければ、移ろいやすいこの世の中では生きていけないだろう。

平和な今のこの世界、倫理観にすら気をつけなければいけないとは、ニホンと言う国は、実に平和な国である。